読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

もう一生分のんじゃった!

私は少しだけ先にお酒を止めたアルコール依存症者です。ただなかなか最初の一歩をふみだせず多くのものを失ってしまいました。みなさんには後悔してほしくないとの思いで書き綴っていきますのでご覧いただくと幸いです。

患者本人の視点「私をアルコール依存から救い出した妻がとった行動とは?」

《私をアルコール依存から救い出した妻がとった行動とは》

 



私はお酒をやめたアルコール依存症者である。

いや「妻によって救い出されたアルコール依存症者」と言うべきであろう。

当時、浴びるように酒を飲んで自暴自棄になっていた私は、とても自分一人の力・意思だけではとうてい立ち直れない状態にあった。

「そのとき私の妻がとった行動とは?」

途切れとぎれの記憶を遡り出来るだけ詳しく書き残す。

アルコール依存症患者への「家族の対応例」として同じ様な境遇で苦しんでいるご家族の方の、一助になれば幸いである。

 

妻だからいち早く私の異変に気づき行動した

 

「何よりも優先すべきは酒」

振りかえればこの時すでに私は完全な「アルコール依存症」であったのだが、妻はいち早く私の異変に気づき行動にでた。

そのとき妻は何をしたのか?

それは際限なく酒を欲しがる私に「好きなだけ酒が飲める環境を与える」ことだった。

その当時、私はまだそれなりに責任のある仕事をこなし十分な対価を得ていた。

そんな私に対し好きなだけ酒を飲ます事は妻として一種の賭けに近い大きな決断であったに違いない。

当然、酒を飲むに好環境となった私は更に多量に飲むこととなったのだが、そう長くは続かなかった。

二ヶ月もしないうちに離脱症状でもある全身痙攣・筋肉のこわばりが強くなりとうとう仕事へも行けなくなり休職する羽目になった。

それでも暫くは飲み続けたのだが、いよいよ体が酒を受け付けなくなった。

そして精根尽き果てた私に妻は言った「病院に行って飲める体にしてもらいなよ」と。

アルコール依存症者にとって病院に行くという事は「お酒をやめる事と同意」であり、これまで拒み続けていた私であったが妻のこの言葉に妙に安心感を覚え病院に行くこととなった。

そして着いた病院は「アルコール依存症治療の専門病院」であり、即入院となった。

結果としては退院後もまた酒を飲むこととなったのだが、これが今の私の「断酒のきっかけ」となったことは間違いない。

 

 

妻は静かに見守っていた

 

「酒が飲める環境を整えた」妻であったが、ただ飲ませただけではなかった。

最小限しか食事をとらない私の体を守る為、ビタミン・たんぱく質他の欠乏を防ぐことには最大限の労力を費やしていたのだ。

これは後になって大変重要だったと知ることとなる。

入院前の検査項目の一つにCTスキャン・MRIによる「脳容積の減少確認」があるのだが、多くの入院患者に見られる「栄養障害としての脳容積の減少」が私には全くみられなかった。

結果、断酒さえしてしまえば「理性」「意思の力」を正常に働かせることが出来た事も現在の私がこうして存在している重要な「妻の見守り」の賜物だったと感謝に尽きない。

  

患者としての私の振り返りと纏め

 

妻が私にとった行動はいわゆる「共依存」ではなかった。

私が望むように酒は準備したが決して「あの人は私がいなければダメになる」と考えたのではなく「いつか彼自身(夫である私)が自分で気づいてくれる」と私を信じ続けてくれたのだ。

決して感情的になるのではなく、また彼女(妻)は彼女自身のことも大切にしていたのである。

今だからこそ笑い話としてお互いに話せるが、当時妻には「心の中で決断」していた事があり、それは酒をやめる前に私の心が「人としての終わり」を迎えたならば、その時にはきっぱりと「見捨てる」つもりだったのだという。

この看病する側が「自身を大切に考える」ことは非常に重要であり、これこそが患者を更生させるガギとなるのではないかと思う。

最後となるが、アルコール依存症患者を支える家族の方がとるべき方法は様々であり「これが正解」というものは無いように思う。

ただこれだけは強調して言いたい「自分自身を大切に考える」

誰かを救おうと思ったらまず自分を大切に考えること。

「そうすればきっと道は開ける」